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2003/3/31
年齢

歳をとると実際の年齢より若く見られると嬉しいというのが普通です。ところが子供は逆に実際より高い年齢に見られると嬉しいのです。そのスイッチが切り替わるのは何歳くらいからでしょう。

若く見えるかどうかは多くの場合その外見が判断の基準になるわけですが。
顔のシワや体形が気になってくる時期を境に切り替わるというのが答えになるでしょうか。
20代前半くらいでは外見と言うより社会的に一人前と見なされたいという意味で実際より高い年齢に見られたいかも知れません。

蛇足ですが・・「齢」という字はそれだけで「うまれてからその時までの年数」という意味があるのに御丁寧に前に「年」の字を付けて「年齢」と言います。



2003/3/30
原子力

敦賀市にある新型転換炉「ふげん」が昨日その使命を終わり運転を終了したというニュースが流れました。専門的なことは解りませんが不要になった原子力施設は放射性物質の処理や施設の解体など当然一般の建物のようには出来ず費用が約200億円、期間も20年くらいかかるそうです。「ふげん」の稼動期間は24年だったそうです。建設にも莫大な費用がかかっているはずです。
これからも老朽化した原子力施設の同様の問題が起こります。稼動中の危険は言うまでも無く使われなくなってからも処理に問題を残す原子力エネルギーがどうしても必要でしょうか。例え効率が悪くコストが高くなっても安全なエネルギーに移行するべきだと考えますがどうでしょう。





2003/3/28
電柱を無くすと・・

道路に立ち塞がる電柱は邪魔なものですね。そこで最近は地中に電線を埋めてスッキリした歩道になっている所が増えています。

でも電柱が無くなると良い事ばかりではありません。
犬の皆さんはオシッコをかける目標が無くなって困ってしまうでしょうし、電線にスズメがとまれなくなって「電線音頭」を理解できない世代がでてくるのをベンジャミン伊東さんは寂しく思うでしょう。
また刑事が容疑者を尾行するとき隠れる場所はどうするんでしょうか。
世の中みんなに都合が良いという事はなかなか無いんですね。



2003/3/26
頑張らない

私たちは色々な場面で「頑張れ」という言葉を日常的に使っていますね。
これは英語のGood luck(幸運を祈りますというような意味らしい)のような軽い意味の場合と「もっと力を出せ」という意味に使う場合があります。

通常「頑張れ」と応援されることで「もうダメかも知れない」という気持ちになっていたのが「よーしもう少しやるぞ!」と気持ちを切り替えることが出来ます。しかし目一杯頑張っているのに「頑張れ」と言われても辛いばかりです。

マラソンのレースなどでコンデションが良い時は気持ちよくスイスイ走れてあまり頑張らなくても勝ってしまうらしいのです。つまり試合で頑張らなければならない状況はスポーツ選手にとってあまり望ましくない事になります。「練習で頑張り」「試合で楽しむ」というのが理想でしょうか。

また日常生活においてもデリケートな精神を持った人にとっては「頑張れ」と励ます言葉が物凄く過大なプレッシャーとなり精神的に押し潰されてしまう場合があるそうです。

デリケートでは無い人もあまり頑張らないでゆったりとした気持ちで過ごすほうが良いのかも知れませんね。



2003/3/25
メダカ

野生のメダカを近くの小川などで見かけることが無くなりました。だいいち近くに小川など無くなってしまいました。
野生のメダカ(クロメダカ)は残念ながら環境庁絶滅危惧U類指定されるほど数が減っているらしいです。

我が家でも妻がメダカを飼っています。これは赤っぽい色のヒメダカという種類だそうで一般に飼われているのはこの種類のようです。
ヒメダカは野生メダカの突然変異と品種改良でできた種で、環境適応能力も特に高く飼いやすい魚だそうです。そういえば我が家のメダカは縁側に置いた発泡スチロールの小さな箱で飼われていますが、夏はお湯の中で、冬は分厚い氷の下で元気に泳いでいます。





2003/3/24
雨の日も楽しむ

ハイキングなどに行く計画が雨のため中止になった経験はどなたにも有ると思います。
確かに眺望は望めませんし色彩も鮮やかではありません。
でも晴れの日には味わえない風景というのも有ります。私は時々丹沢の山に出かけますが、谷に低く立ち込めた雲は山水画を見るように幽玄な美しさがありますし、森の中で立ち止まると木の葉に当たる雨の音だけが聞こえ、例え近郊の低山であっても白神山地の奥深くに居るような気分になります。(白神に行ったことは無いですけど・・)
ただし寒い時期に雨を楽しむにはレインウエアやザックの防水を完璧にする事が条件ですが。
また絶対お勧めなのが折りたたみ傘です。ザックに物を出し入れする際や昼食の際に重宝しますし、蒸し暑くレインウエアを着たくない時期も快適です。

MTBで盛大な水しぶきを上げながら走るのも気持ちの良いものですし、カヤックなどではどうせ濡れるので雨が降っている事を忘れるくらい気になりません。







2003/3/23
バス停の便利な表示


私が時々利用する路線バスの停留所には次のバスが近づいて来ると絵で表示される装置が付いています。これは大変便利です。
3台分くらい表示できるので例えば次に来るバスが目的の停留所の1つ手前が終点で、降りてから歩かなければならない場合、すぐ後に目的の停留所まで行くバスが来ている事がわかれば余裕で1台見送ることができます。

路線バスというのは電車と違い交通渋滞などで時刻表通りに来る事は難しいのでこの装置は大変ありがたいものです。





2003/3/22
BGからOLへ

その昔、事務系の仕事をする女性をBG(ビー・ジー)といっていた時期があります。女性事務員の直訳的和製英語Business Girlの略らしいです。Girlというのがよろしくないという理由からか、いつのまにかOL(オー・エル)に変わりました。こちらも和製英語だと思いますがOffice Ladyの略という事です。

このOffice Ladyについて私は納得が行かない思いがありました。それは「Lady=貴婦人,淑女」という訳しか知らなかったからです。そして世の中にはどう見ても「淑女」とは思えないOffice Ladyが多かったのです。
ところが後でLadyには単に婦人の意味もあるという事が判りようやく怒りが収まりました。

ところでLadyと言えばGentlemanですが、こちらは「教養のある立派な男性」「紳士」とあり単に男性の意味には使わないようです。ですから教養が無い男は紳士服売り場で洋服を買ったり、Gentlemanの表示があるトイレに入ったりしてはいけません。



2003/3/19
犬は猫舌?

熱いものを食べられないのがいわゆる猫舌ですが、ほとんどの動物が「猫舌」らしいです。というのは、熱いものを口に入れるときフーフー吹いたり、飲物なら空気と一緒に吸ったりして冷ましますが口をすぼめられない動物はフーフー出来ないので熱いものを食べられないわけです。
余談ですが「3匹の子ブタ」という話でオオカミが藁の家や木の家を息で吹き飛ばしてしまいますが実際にはオオカミは「吹く」という動作が出来ないのです。もっとも例え吹く事が出来ても家を飛ばすのは無理でしょうけれど、ってこれ「お話」ですものね・・。



2003/3/18
電気掃除機は嫌い


電気掃除機というのはたしかに便利だと思います。

しかし私はどうも好きになれないのです。
まずあの大きな音が気に入りません。実に神経を逆撫でする音だと思いませんか?
それにあの取り回しの悪さ、
それから電気掃除機の形もどうもね、

やっぱり掃除はハタキ、箒、雑巾がいいなあ。



2003/3/17
焚き火

焚き火はアウトドアライフの重要アイテムの1つです。もちろん寒い時期にはその暖かさそして炎の色、煙の匂い、はぜる音、それらの全てが心地よく、焚き火を囲んで美味いものを食べ酒でも飲んで星空を見上げたら、緒方拳でなくても「何か良い事言っちゃいそう」になりますよね。





2003/3/16
冬の低山

関東地区周辺の低山のベストシーズンは冬です。なぜなら雑草が枯れ樹木も葉を落とすので沢すじであっても見通しが良く明るくなりますし、天気も安定して晴れが多いからです。蚊や蝿などの虫がいないのも良いです。雪があれば更に楽しめます。





2003/3/15
それにつけても金の欲しさよ

俳句のうしろに「それにつけても金の欲しさよ」を付けるだけで和歌(狂歌というのでしょうか)になってしまうというのは良く知られていますが、まさに金が欲しい今日このごろです。

カネが全てでは無いとは言うものの大抵の問題が金で解決出来そうです。築47年の家も建て直したいし、カヤック・ツアーだって年間に最低数回は行きたいし、13年乗っているMTBのフレームもそろそろ折れそうだし・・・・。

そこで春の歌を一首
   菜の花や 月は東に 日は西に
	      それにつけても 金の欲しさよ




2003/3/13
鍋料理

寒い季節に鍋物は欠かせませんね。鍋物のありがたいのは私のような料理が全く出来ない者でも適当なものを切って鍋で煮るだけで「人が食べられるもの」が出来上がってしまい、しかもほとんど失敗がなく、しかも美味い、しかも結構豪華な感じがする、と良い事ずくめだということです。
野外で食べればさらに美味しさがアップしますね。冬のキャンプのベストメニューでしょう。と言っても冬のキャンプに付き合ってくれる仲間はなかなか見つかりませんが・・。



2003/3/12
電気が無い生活

朝タイマーでラジオが鳴るのをきっかけに起きます。
電気シェーバーでヒゲを剃り、電気炊飯器で炊いた御飯を食べて出勤。
勤務先に着くとタイムカードを押し、パソコンで仕事。帰宅してテレビを見て、・・・と電気を使いっぱなしの一日です。
電気が無かったら・・
ラジオが無くても起きるのは可能、ヒゲもT型の剃刀でOK、御飯も鍋で炊けるし、結構電気が無くても大丈夫ですね。
会社へ行って・・・・あっ!・電気が無ければ「電子関係の製造業」は存在しません。
ということで話は終わってしまいました。



2003/3/11
非日常

私たちは何のためにキャンプをするのでしょうか。
家があるのにわざわざ電気も無い所へ出かけて行って、薄いシート一枚のテントの中で寝るのです。
じつは自分でも理由が良く解らないのですが、それが妙に気分が良く嬉しいのです。

しかし家が無くて毎日テントで寝るようになったらとしたら、きっともう嬉しくは無くなるはずです。
テントで生活すること自体はけっして快適ではありません。テントで寝る事が嬉しいのではなく「非日常」が心を躍らせるわけです。
こういう心理は人間以外の動物にも有るのでしょうか。





2003/3/10
泥棒が入るのは鍵をかけないから?

家の鍵をかけずに外出して泥棒に入られると間違いなく「鍵をかけないのが悪い」と言われます。
でも鍵がかかっていなくても人のものを盗っちゃダメでしょう。
人のものを盗むのは人間の本能と言うのでは情けないです。

しかし現実にはそれが常識としてまかり通っていますね。
こういうように間違った事を「大人の世界の常識」のように思うのはとんでもない勘違いです。そんな事だから子供が大人を信用しなくなるんですね。



2003/3/6
ふるさとは・・・

「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」とは室生犀星の有名な詩です。 この詩についての解説は他のサイトに譲るとして、

この詩からは離れますが「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という言葉から私が思う事は、次のような事です。
「ふるさと」を離れて遠くからそこに住む親を思う。それが成人後の親子の理想の関係ではないかと思うのです。

親と子の関係から大人と大人の関係に切り替えるためにも親子は離れる必要があると思うのです。




2003/3/5
どぶに捨てる

無駄な事にお金を使うことを「金をどぶに捨てるようなものだ」というのを聞いた事があると思います。
実際にお金をどぶに捨てる人はいないと思いますがこの言葉から昔はいらないものを川や下水溝に捨てる事が当たり前だった事がわかります。
今も日本中の川がゴミ捨て場にされています。
こういう悪い習慣は伝承しないでほしいものです。





2003/3/4
玄関

日本のほとんどの家には玄関が設けられています。限られた敷地に家を建てるのに居住空間を削ってまで必ず玄関を作るのは何故でしょう。

玄関の役割を考えてみると、まず靴を脱ぐ場所としての役割があります。日本の生活様式では家に入る時必ずどこかで靴を脱がなければならないので必要な場所と言えます。
もうひとつの役割はプライベートな空間にいきなり他人が入ってくるのをシャトアウトするための関所として玄関があり、そこで家の中に招き入れる事に不適格と判断されると「玄関払い」となります。
また「玄関は家の顔」という考えが根強く、必要以上に豪華な玄関も少なくありません。

私の理想の玄関は次のようなものです。
玄関と言うより土間と言った方が良いかも知れませんが、靴のまま入れる半プライベートの広い空間を造り、テーブルや椅子あるいはソファーなど置いて第2リビングのような使い方をしたいですね。そこで靴を脱いでドアを通ってプライベート空間に入るような構造にすれば良いかな。



2003/3/3
検索エンジン

「遊びが命」で検索すると、Yahoo!JAPAN BIGLOBEサーチAttayo exciteなどでトップに出てきます。これって特に登録申込みとかしなくても勝手に登録されるんですね?

しかし、だからといってアクセス数が増えたかと言うとご覧のように全くそんな事はないのです。
突然「遊びが命」で検索してみようと思いつく人は居ないでしょうからもっと一般的な言葉、例えば「MTBツーリング」とか「山歩き」とかで検索して引っ掛るようにしないとダメなんでしょうね。
もっとも最近は「看板に偽りあり」で、トップページの雑文(本人はエッセイのつもり)の更新ばかりですが。





2003/3/2
世界ウルルン滞在記

私はこのテレビ番組が好きでよく見ます。
文化や習慣の違う地域にホームステイしてのカルチャー・ギャップが面白さのひとつのなのですが、
この番組を何回か見て最も感じた事は、どの国の人もひとりひとりの人間は誰もが他人を思いやる優しい心を持っっているという事。別れを惜しんで涙を流す気持ちも同じなのです。
これが国と国、あるいは民族と民族となると途端に険悪になってしまうのは何故なのでしょうか。





2003/3/1
「蜘蛛の糸」その2 究極の選択

後ろから蜘蛛の糸をよじ登ってくる無数の亡者を見て、このままでは糸が切れてしまうと思い「俺の糸だ!放せ!」と叫んだ途端糸が切れしまうのですが、もしそのまま多勢が登って来たらその重さで蜘蛛の糸が切れてやっぱり地獄に逆戻りかも知れません。

どちらを選んでも良い事は無いというのは以前に流行った「究極の選択」というやつですね。
多くの国民が価格が安いからと言って外国で製造されたものばかり喜んで買っていると国内の産業が衰退し結果的に自分の首を締めることになるし、かと言って高い国産品を買っていたら自分の家庭の経済が破綻してしまう。というのも「究極の選択」ですか。




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