上方落語「はてなの茶碗」
 そのむかし、ひどく茶事(さじ)のはやりました時分に、京都の綾の小路(あやのこうじ)に、茶屋金兵衛という骨董屋(こっとうや)さんがございました。
 この人が、なにか一品持って、「はてな」と、口のなかで申しますと、その品ものが、百両の値打ちがあったということでございます。
 ちょっとみたばかりで、品ものがうごくのでございますから、うかつに人のものをほめることもできません。
 この人、清水(きよみず)の観音さまが信仰で、毎日のように参詣にでかけます。
 ご承知の奥の院を拝しまして、横の石坂を降りますと、音羽の滝という滝がございます。滝の前の茶店に腰をおろして、いつでも渋茶を飲みます。
 ある日のこと、茶を飲んでおりましたが、飲みおわったあとで、ふしぎそうな顔をして、茶わんのなかをのぞきこんだり、裏がえしてみたり、陽にかざしてみたり、「もう一ぱい」と、また飲み、飲むかとおもうと、てのひらへのせて、「はてな?」といいながら、また、すかしてみながら、しきりに首をひねっておりましたが、茶わんをそこへ置いて、茶代を払ってでていってしまいました。  そのわきで、おなじようにお茶を飲んでいたのが、かつぎ商(あきな)いの油屋さんで、
「おやっさん」
「なんじゃな? 油屋さん」
「もういくわ」
「もうちょっとやすんでいたらどうや?」
「いやいや、いつまでも、こんなところで油売ってらあかんのや。ぼちぼちでていって、油売らんならんさかい」
「うーん、そうやな。あんたは、油売らずに油売らんならんのやな。まあまあ、しっかりおかせぎ」
「ついてはな、おやっさんに、たのみがあんのやがな」
「たのみ? なんじゃいな?」
「こうやって荷をかついでまわってると、のどがかわくのや。で、まあ、得意さきで、湯でも茶でももらうんやが、この通り手が油だらけや。ちょっと持っても茶わんに油がつく。それが気がねや。でな、自前(じまえ)の湯飲みを持ってあるきたいんやが、そのへんの茶わん、いらんのがあったら、ひとつわけてえな」
「ええ、大事(だん)ない。持っていきいな。こっちゃの新しいのを持っていき。金なんかいらんがな」
「いや、古いのでええわ・・・ほたら、まあ、これ、もろうていくわ」
「どれ?」
「これや」
「いや、そらはあかん。除(の)けておいたのや。これはあかん。ほかのを持っていんで」
「これ、なんであかんのや?」
「なんでもええのや。それはあかん」
「おなじこっちゃないか?」
「いや、それは、もうわきへ除(の)けておいたんや。いま、この茶わんで、お茶を飲んでいきなはった人はな、綾の小路の茶金はんというて、有名な道具屋や。あの人が、なにか品ものを持って、口のうちで、『はてな?』というたら、その品が百両の値打ちがあるという人やで。いま、この茶わんでお茶飲みはって、『はてな?』『はてな?』『はてな?』と、三度いいなはった。まして、なかをのぞきこんだり、裏がえしたり、陽にすかしてみたり、さまざまのことをしやはった。捨て売りにしても、三百両というものや。それを、あんたにやることは、ようでけん」
「なんや、おやっさん、知ってたんかいな。いや、わしも、茶金さんが、えらいひねくりまわしてるさかいに、こりゃ値打ちものや、うまいこというて持っていったれとおもうてな」
「わあ、わるい人やな」
「ばれたらしょうない・・・なあ、おやっさん、あらためてたのむわ。この茶わん、わいに売ってんか? ここに金が二両ある。これで身代かぎりや。な、これで、この茶わん、わいに売ってえな」
「せっかくやけど、二両や三両では、よう売らんわ。え、そやないか? ひょっとしたら、たいへんな値打ちものかもわからんさかいに・・・」
「そんなこというない。わいの身代かぎりやで・・・この茶わん、わいに売って、な、ええやないか?」 「なんぼいうてもあかん・・・もうこれだけは・・・」
「こないたのんでもあかんの? あ、そう、そんならええがな、あきらめた・・・わいもあきらめるかわりに、おやっさん、おまえにももうけささんわ。この茶わん、ここでたたきつけて割ってしまうさかい」
 と、茶わんを持って、いきなりふりあげましたから、茶店の亭主はおどろいて、
「ああ、こわしてしもうたら、一文にもならんがな。そんな無茶しないな」
「無茶は承知やがな・・・ほたら、まあ、売ってくれるか?」
「そやかて・・・」
「さ、二両で売るか? たたき割ろか? どっちや?」 「待った、待った。わるい人やなあ。割られたら、もとも子もないがな・・・もうしようがないがな。売る売る。ほんまに売るけども、二両やなんて殺生やな。もうかったら、きっと賦(ぶ)持ってこなあかんで・・・」
「ああ、もうけたら、かならずあいさつにくるさかいな・・・ほなら、この茶わん、たしかに買ったで・・・」
「ひったくるように茶わんを持って帰りますと、桐の箱をこしらえまして、この茶わんをいれますと、うこんの布につつんで、自分も小ざっぱりしたこしらえで、茶金さんの店へやってまいりました。
「ええ、ちょっとおじゃまを・・・」
「はあ、お越しやす。どなたさんで?」 「茶金さんに、ちょっとみていただきたい品があってまいりましたんやが・・・」
「ああ、そうどすかいな。まあ、一服あがりやす・・・で、お品は、どういう向きのもんどすえ?」
「ええ、茶わんで・・・」
「ああ、お茶器どすか? それはえらい結構で・・・ご相談にも乗りますどすえ。しかし、それも、お品しだい、一ぺん拝見いたしまほう」
「あんた、茶金さんで?」
「いえ、わたくしは、番頭の清兵衛と申しますどすえ」
「あんた、番頭はん? そうだっしゃろな。あんたではあかんのや・・・いや、あんたをばかにするわけやないのやけどな、どうもその・・・茶金さんやないと、ぐあいがわるいのや・・・茶金さんは、お留守どすか?」
「いえ、家におってどすえ。そやけど、おなじみとなればともかく、日ごとにそういうおかたが、なんべんとなくきやはるさかいな、どのような品でも、店をあずかっております番頭のわたくしが、拝見をいたしまして、目のとどかん節は、また、あるじのほうへ・・・そやけれども、大体道具というたら、わたしがみたかて、あるじがみたかて、なに、えらい相違というものもおまへんで、一ぺん拝見をいたしたいもんどすえ」
「あ。そうか、そんならみてもらおう」 「へえ、拝見いたします。はあ、なかなかええふろしきどすな。更紗(さらさ)もこれくらいになりますと・・・」
「ふろしきをほめいでもええねん、なかの茶わんをほめて」
「へえ、これどすか? ・・・おまちがいやおへんな? これは、あんた、清水焼の数(かず)茶わん、ひとつ二、三文の茶わんやおまへんか」
「そやさかい、はじめからいうてるやないか。おまはんではわからんのや。茶金さんなら、まあ、これをみて、ぱっと値打ちをあてるのやが・・・あんたでは、ちょっと・・・」
「いや、あるじにみせてもおなじこっとす」
「いいえなあ、この値打ちはな、五百両、千両、茶金さんでないと・・・」
「いやいやそんなこと・・・これは、たしかに清水焼の、まあ、一番安手の、ただの茶わんで・・・どこを押して五百両の、千両のと・・・そんなあほらしい。あんた、そないなこというて、狐にでもつままれはったか? あはははは」
「なにぬかす!!」
「あいたたた、なにをしなはる」
「笑うたさかい、どついたんや。どついたがどうした?」
「これこれ、店がそうぞうしい。どうしたのや? 清兵衛」
「おおいたい。どうもこうもおまへん。えらい極道(ごくどう)や。人のあたまを、ぽかぽかどつきおって・・・」
「あっ、茶金さん、あんたにみていただきとうて、きてまんのやがな。それを、この番頭のがきが、人の品ものみて笑うたりするさかい・・・」
「これ、清兵衛、人さまのお品を拝見して、笑うということがあるかいな。どつかれてもしかたがない。そっちゃへいきなはれ・・・もし、あんたもあんたや。なにもどつかんかてよろしいがな・・・さあ、わたしが拝見いたします」
「あんたにみてもろうたら、もう大丈夫や。これ、五百両、千両ちゅう品ものやさかい、気いつけてみとおくなはれや」
「品ものは? ・・・この茶わんどすか? ・・・へえ、これなあ・・・あははははは」
「あんたにまで笑われたら心ぼそいで・・・どうでんねや?」
「あんたなあ、こら、番頭が笑うたのももっともやで・・・こら、どこにでもころがっとる、二文か三文の茶わんや。なんでまた、五百両の、千両のと・・・」
「あんたなあ、もっと手にとって、裏がえしたり、陽にすかしたりして、あんじょう【よく】みてえな。たのみますわ・・・え? ほんまにこれ、ただの安ものの茶わんか? ・・・こら、えらいこっちゃ。わい、身代かぎりをしてしもうた・・・えーえ、ややこしい茶の飲みようさらすない」
「ややこしい茶の飲みようとは?」
「あんたなあ、四、五日前、清水さんの茶店で茶飲んでたやろ?」
「ははあ、どっかでみたことのあるお人やとおもうたが、あんた、たしか、あのときに、わたしの横手でやすんではった油屋さんや」
「そうや。あんたなあ、あのとき、この茶わんで茶を飲んでたんや。飲みおわったあと、裏がえしたり、すかしたりして、『はてな?』ちゅうたやないか? まあ、あんたが『はてな?』ちゅうたさかい、これはひょっとしたら、たいへんな値打ちものかもわからんおもうて、茶店のおやじと喧嘩して、三年はたらいてやっとためた二両の金を放(ほ)りだして、身代かぎりして、これ買うてきたんや。二文や三文の茶わんやったら、なんで、あんなややこしい茶の飲みようさらしたんや?」
「ああ、あのときなあ、お茶をいただいてましたら、茶が、ぽたりぽたりともりますのや。おかしいなあ、ひび割れか、きずでもあるかとみたが、なにもない。あんまりふしぎやから、『はてな?』と、いうたんや」
「ええっ、そんなあほな・・・ほんなら、これ、ただのきずもんか? ふーん、えらいことしたなあ・・・わしゃ、あんたが、この茶わんひねくってる、これは、ひょっとしたら値打ちもんやとおもうて、ほんまに身代かぎり放(ほ)りだして、茶店のおやっさんと喧嘩して、ようよう買うてきたんやで・・・あーあ、三年間のはたらき、棒に振ってしもた。どうもしょうがない。あきらめなしょうがない。ああ、番頭はん、かんにんしとおくなはれ。あたまどついたりして・・・ほな、茶金さん、えらい失礼なこといいました。えらいすんまへん、みなさん、さわがしてすまんこって・・・へい、ごめん」
「もし、ちょっとお待ち・・・うーん、えらい。あんた、ほんまにえらいわ。わしのような者でもいじったらば、それだけの値打ちがあるやろうと、たったそれだけの思惑(おもわく)で、身代かぎり放りだしなはった。いわば、茶金の名前を買うていただいたようなもの、わし、商人冥利(あきんどみょうり)につきますわ。あんたに、まるぎり損さしては、わしの気がすまん、この茶わん、わたしが買わしてもらいます」 「千両で?」
「いや、千両ではよう買わん。元値の二両にもう一両つけて、三両で買わしてもらいます。しかしなあ、油屋はん、ひとやま当てようなんて気い起こしたらあきまへんで・・・そんなぼろいことは、この世にない。地道(じみち)におかせぎやす。それがなによりや」
「へえ、おおきに・・・しかしな、この金は、もらえんわ。おのれが勝手に思案して、それがはずれたさかいな・・・ほな、なにぶんこまってるもんのこってさかい、これ、お借りします。へえ、なんとかなったら、かならず、お礼といっしょに持ってあがりますで、かんにんしとおくなはれ。へえ、お店のみなさん、おやかましゅう、さいなら・・・」
 油屋は、すごすごと帰ってまいりました。
 ところで、茶金さんの出入りさきと申しましたら、かずかぎりのないくらいで、商売ばかりではなく、お茶のお相手にお公家(くげ)さんがたへも多くまいります。
 あるとき、関白鷹司(かんぱくたかつかさ)公のお屋敷へ参上しましたときに、
「金兵衛、近ごろ、おもしろいはなしはないか?」
 とのおたずねがございましたので、例の茶わんのことを申しあげますと、
「それはおもしろい。麿(まろ)も、ぜひその茶わんがみたい」
 というおおせに、金兵衛、さっそく茶わんをとりよせてごらんにいれました。  関白さんが、水をついでみますと、なるほどふしぎにもります。水をあけて、ふいて、かざしてみたが、きずはございません。また、水をつぎますと、ぽたぽたもります。
「ふしぎな茶わんじゃ」
 と、おおせになって、短冊(たんざく)へ筆をお染めになったのが、
  清水の 音羽の滝の 落としてや
   茶わんもひびにもりの下露(したつゆ)
 おもしろい和歌ができました。
 これが、お公家さんのあいだで、えらい評判になって、おそれ多くも、ときの帝(みかど)の耳にもはいりました。
 帝も、その茶わんがごらんになりたいとのご沙汰でございますので、さっそくごらんにいれましたところが、もったいなくも、箱のふたへ、万葉仮名で、「はてな」と、箱書きをたまわりました。
 さあ、たいへんで、「はてなの茶わん」というて、京都じゅうの評判になりました。
 すると、大阪の大金持ち、鴻池(こうのいけ)善右衛門がこれを聞きまして、「家の宝にしたい。ぜひ売ってくれんか」と、所望(しょもう)されました。
「御筆(ぎょひつ)の染まりましたもの、お売りするというわけにはまいりまへん」
「そんなら、こうしまひょう。あんたに千両あずけるさかい、茶わんをわたしにあずけなはれ。あずけっこするならええやろ?」 「そんなら、そのように・・・」
 まあ、早ういうたら、千両に売れたわけで・・・金兵衛さん、これを、あの油屋に知らせて、金をやったらよろこぶやろと、さがしておりますけれども、油屋のほうは、茶金さんのところへはきまりがわるいさかい、それっきりまいりません。
 ある日、丁稚が、茶金さんのところへかけこんでまいりまして、
「旦那え」
「なんじゃ?」
「いつぞやの油屋な」
「うん」
「むこうの筋(すじ)からでてきおったがな」
「そんなら、呼べ呼べ」
「へい・・・おーい、油屋さん」
「え? だれや? うわあ、茶金さんとこの丁稚(こども)か、いや、このあいだは、すまなんだな。旦那によろしゅういうといて・・・なに? 旦那が、わしに逢いたい? そら、いかんわ。逢えるかいな、めんぼくのうて・・・これ、そない、ひっぱったら、油がこぼれるがな。なにをすんのや」
「ええから、ちょっときやはれ・・・こっちゃへおはいり」
「ああ、油屋さん、さあ、こっちへはいっとくれ」
「うへー、茶金さん、こないだの三両、返せちゅうたかて、もうありまへん」 「そないなこといわんと、わらじといて、まあ、おあがり、おもろいはなしがあるんや。まあ、こっちゃへおあがり・・・いつぞやの茶わんな」
「もうそのはなし、やめとおくなはれ。めんぼくのうて・・・」
「まあ、聞きなはれ、あの茶わんな、千両で売れた」
「えっ、千両で?! そら、ひどいわ。三両に値切っっといてやな、それを千両でとは・・・」 「まあ、まあ、聞きなはれ。あれな、鷹司さんにはなしたところが、みたいとおっしゃるで、ごらんにいれたところが、歌をくれはった。するとな、お天子さんのお目にとまって、おそれ多いこっちゃ、『はてな』という箱書きをくだされた。それでまあ、あんた、千両という値打ちや。で、この金、わしゃ、ふところへいれてしまうようなつもりはない。半分の五百両、これ、あんたにあげる。千両、みなあげてもいいわけじゃが、わたしも、この京都に長くいるさかい、のこった五百両、どうか、この土地のこまってはる気の毒なかたに施(ほどこ)しをしてさしあげたい・・・さあ、この五百両、遠慮せんと、とっておきなはれ」
「そら、いかんわ。あの茶わんにそれだけの箔(はく)がついたというのも、茶金さん、あんたの人徳でっせ。それを、わしが、五百両ももろうてな筋(すじ)あいはない」
「まあ、そういわんと、とっておきなはれ。もとはといえば、あんたが、あのきず茶わん持ちこんできたさかいに起こったことじゃ・・・」 「うん、そうやなあ・・・ほな、なにぶんこまってるもんのこってすさかい、もろうておきますわ・・・えらいすんまへんな。ほんなら、こんなかから、番頭はん、この二両、とっといておくなはれ。いいえな、このあいだ、あんたのあたまどついたやろ? あの膏薬代やとおもうてとっといて・・・いや、そうしてもらわんと、わしゃ気がすまん。それから、いまの丁稚(こども)さん、よう、わしを呼んでくれたな。あんたに呼んでもらわなんだら、こうはいかなんだ。ちょっと、これとっといて・・・薮入りのときの小づかいや・・・それから、この五両、お店のみなさんでわけて・・・」
「もし、油屋さん、そないなことをして・・・大事にしなはれや」
「大丈夫でやす。おおきにありがとう」
 おもいがけなく五百両の大金をもらって、油屋は、よろこんで帰ったぎりまいりません。茶金も、いいことをしたと大よろこびでおりますと、ある日のこと、町内われるようなさわぎで、多勢の人数が、そろいの浴衣(ゆかた)にむこうはちまき、なにやら重たそうにかたげて、こっちへやってまいります。
 その前に立って、扇子をひろげて、「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ」と、音頭とってるのが、こないだの油屋でございます。
 これをみた茶金さん、
「なにしとるのや? あの油屋・・・おいおい、油屋さん」
「やあ、茶金さん」
「なんや、そのさわぎは?」
「へえ、十万八千両の銭もうけや」
「なに? 十万八千両の金もうけ? なんや?」
「こんどは、水瓶(みずがめのもるのを持ってきた」
おあとがよろしいようで・・・。