2015/08/18 |
たまには文学に親しんでみましょうか |
世の中の評価というものは、その本当の実力より外見の仰々しさや立派さに左右されるものです。 服装が立派だと丁重に対応されるとか、桐の箱に入っているメロンは高そうだとかね。まあこれは実際高いんですが。(笑) また知名度(ネームバリュー)というのも大事です。つまり「有名な作者の作品だから素晴らしいに違いない」とか・・・。世の中そういった先入観で出来上がっているわけです。 菊池寛さんの「形」という作品は、まさにこの心理を描いています。 そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような 「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵の雑兵は、新兵衛の鎗先を避けた。味方がくずれ立ったとき、激浪の中に立つ巌のように敵勢をささえている猩々緋の姿は、どれほど味方にとってたのもしいものであったかわからなかった。また こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の 「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男の 「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうて見い」と育ぐくむような慈顔をもって、新兵衛は相手を見た。 その若い 「ほかのことでもおりない。明日はわれらの 「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。 「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と 吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返した。 その日に限って、黒皮 彼は二番鎗は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到した。 猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしなかった。そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っていた。 新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がついた。いつもは虎に向かっている羊のような どうです。外見をおろそかにはできませんね。私なんかもきっと軽く見られてるんだろうなあ・・・。 と言っても、中身も外見通りなんですけどね。(笑) |